グレアム・ハーマン
Graham Harman『道具存在』は著作権保護期間中のため、古典書房では翻訳テキストの販売を行っていません。このページはタイムライン上の参考情報として掲載しています。
略歴
アイオワ州に生まれる。マクレスター大学で哲学・英文学を学び、シカゴのデポール大学で哲学の博士号を取得した。博士論文がそのまま最初の著作『道具存在』(2002年)となった。カイロのアメリカン大学で長く教鞭をとり、その後サウスカリフォルニア建築大学(SCI-Arc)の教授となった。
ハイデガーの道具分析を出発点としながら、そこから「オブジェクト指向存在論(OOO)」と呼ばれる独自の形而上学を展開した。レヴィ・ブライアント、ティモシー・モートンらとともに「思弁的実在論」の主要論者として知られ、哲学のみならず建築・芸術・文学批評にも広く影響を与えている。
主要著作
- 2002年『道具存在——ハイデガーとオブジェクトの形而上学』
- 2005年『ゲリラ形而上学』
- 2011年『四方の物』
- 2018年『オブジェクト指向存在論』
『道具存在』について
ハーマンの最初の著作で、オブジェクト指向存在論(OOO)の出発点となった書。ハイデガーの道具分析——物はまず「使う道具」として出会われ、使用が挫折したとき「ただある客体」として浮かび上がる——を徹底的に読み込みながら、そこからまったく異なる結論を引き出す。
ハーマンの核心的な主張は、物は決してその関係のなかに完全に溶け込まないというものである。ハンマーが釘を打つとき、ハンマーという物の全体が使われているわけではない。ハンマーの実在は、それが参加するどんな関係をも超えて「引きこもって」いる。これは人間と物の関係だけでなく、物と物の関係にも当てはまる。火が綿を燃やすとき、火は綿の全体と関係しているわけではない。
カントが「物自体は知れない」と言ったのに対し、ハーマンはそれを人間と物の関係に限らず、あらゆる関係に拡張する。物はつねに、その関係を超えた余剰をもつ。この「引きこもり」こそが物の根本的な在り方である。
この書に沿って「物」を定義するとすれば
ハーマンにおいて、物はその関係のなかに尽きない。物が他の物や人間と関わるとき、その関係に現れるのは物の一側面にすぎず、物の実在はつねに関係を超えて「引きこもって」いる。
定義文
『物とは、それが参加するいかなる関係にも完全には現れず、つねにその関係を超えた実在として引きこもっているものである。物の本体は、人間との関係においても、他の物との関係においても、決して余すところなく露わにはならない。』
ハイデガーは、道具が透明に使われているとき物の実在が隠れ、挫折したとき浮かび上がると言った。ハーマンはこれを受けながら問い直す——では挫折して「ただある客体」として現れたとき、その物の全体が現れているのか。そうではない。客体として現れた姿もまた、物の一側面にすぎない。物はどんな姿で現れようとも、その現れを超えた余剰をつねにもつ。関係とは物の一面だけを引き出す行為であり、物の実在そのものは永遠に引きこもっている。これはライプニッツの「窓なきモナド」が現代に蘇った姿とも言える——ただし今度は、精神的単位ではなく、椅子でも火山でも小説でも国家でも、あらゆる「物」に当てはまる普遍的な原理として。